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出身者

横浜学園出身者

神取忍 神取 忍
元参議院議員(昭和57年度卒業からのメッセージ)
高校時代は、自分づくりにとても重要な時期です。横学在学中の様々な経験は、「生きる力」「人間力」となって今の神取忍を支えています。「逃げない!あきらめない!ごまかさない!」という気持ちで、柔道・プロレス・政治と自分で選択し、後悔しないよう全力で取り組んできました。皆さんも『一生に一度しかない高校生活という貴重な時間 』を自分で選択し、全力投球で悔いのないよう頑張って下さい。


山崎ハコ 山崎ハコ
シンガーソングライター
1957年、大分県日田市生まれ。中学卒業後横浜に転住、本校に入学。74年、高校2年の時に「ジョイナス・ニューフォーク・コンペティション」に優勝。翌75年、ファーストアルバム『飛・び・ま・す』でレコードデビュー。以降ラジオの深夜放送で人気を博し、『綱渡り』『藍色の詩』『流れ酔い唄』『軌跡』など多くのアルバムを発表。当時、ユーミンが「大学生のマドンナ」と呼ばれたのに対し「予備校生のマドンナ」として対照的な存在となった。その後様々な音楽活動を経て、06年ベストアルバム『歌いたいの』シングル『てっせん子守歌』など続々と発表。年末のNHK『フォークの達人』でコンサートが放映されるなど、新たな注目を浴びている。
原 節子
往年の銀幕大スター
美人の誉れ高い、原 節子さん(本名:会田昌江さんは、保土ヶ谷区月見台に生まれ(1920年)その後、私立横浜高等女学校(現、横浜学園)に入られたのですが、どうした訳か?インターネットの情報社会では、市立横浜高等女学校(現、桜丘高等学校)出身となっているサイトが大半を占めていますが、彼女は保土ヶ谷区の出であることと、私立→市立の間違いが招いた混乱だろうと推察されますが、当時、「女子にも教育を!」と高い理念の下に、横浜の地に設立されたのは、当学校の前身を含め私立学校だったのです。(インターネットの情報をそのまま妄信することは危険です。真偽を受け手が確認する態度が常に必要です)

先生方、ゆかりのある方

中島 敦 中島 敦
厳格な英才
中国の歴史を題材にした小説「李陵」「山月記」で有名な文学者です。昭和8年から16年までの8年間、本校で国語の教師として勤務していましたが、17年に33歳という若さで急逝しました。24歳から32歳という人生の最盛期を本校で過ごしたことは、彼にとっても、指導を受けた卒業生たちにとっても忘れがたい貴重な時間だったと言えます。



渡辺はま子
強さを秘めた歌姫
戦後、日本人の多くは戦争の残した悲惨さ非情さを忘れようとした中で、歌を通して「戦犯」の気持ちを代弁するように歌いあげた「ああモンテンルパの夜は更けて」は有名です。戦時中は司令部からの依頼で兵士たちを歌で慰問、生きる希望を与え続けたのでした。本校では「歌」の先生をしていた時期があるとのことですが、資料を精査中です。
与謝野晶子 与謝野晶子
情熱の歌人
与謝野晶子は昭和7年ごろから10年まで夫の与謝野鉄幹とともに本学短歌会の講師として勤務していました。ほとばしる情熱を巧みに表現した歌集「みだれ髪」は多くの人々に愛され、今でもいろいろな表現手段に引用されています。本学にも貴重な「みだれ髪」の初版本や与謝野鉄幹主宰の「明星」、書籍などが大切に所蔵されています。
※現在ご活躍中の方の写真・記事等は、本人および所属事務所の許可を得ております。

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横浜学園高等学校

〒235-0021 神奈川県横浜市磯子区岡村2-4-1 TEL:045-751-6941 FAX:045-761-7956