ゆかりのある方達
横浜学園出身者
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神取 忍(昭和57年度卒業)
元参議院議員
15歳から柔道を始め、本校在学中の1983年から全日本選抜柔道体重別選手権(66kg級)3連覇、1984年世界柔道選手権大会3位、1983年の第1回福岡国際女子柔道選手権大会2位、1985年第3回福岡国際3位などの輝かしい成績を収めた。その後、プロレスラーに転向。2006年10月参議院議員に就任、約4年間持ち前の行動力と明るいキャラクターで活躍した。
[神取 忍さんからのメッセージ] 高校時代は、自分づくりにとても重要な時期です。横学在学中の様々な経験は、「生きる力」、「人間力」となって今の神取忍を支えています。「逃げない! あきらめない! ごまかさない!」という気持ちで、柔道・プロレス・政治と自分で選択し、後悔しないよう全力で取り組んできました。皆さんも、『一生に一度しかない高校生活という貴重な時間 』を自分で選択し、全力投球で悔いのないよう頑張って下さい。
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山崎ハコ
シンガーソングライター
1957年、大分県日田市生まれ。中学卒業後横浜に転住、本校に入学。1974年、高校2年の時に「ジョイナス・ニューフォーク・コンペティション」に優勝。翌1975年、ファーストアルバム「飛・び・ま・す」でレコードデビュー。以降ラジオの深夜放送で人気を博し、「綱渡り」、「藍色の詩」、「流れ酔い唄」、「軌跡」など多くのアルバムを発表。当時、ユーミンが「大学生のマドンナ」と呼ばれたのに対し「予備校生のマドンナ」として対照的な存在となった。その後様々な音楽活動を経て、2006年ベストアルバム「歌いたいの」シングル「てっせん子守歌」など続々と発表。年末のNHK「フォークの達人」でコンサートが放映されるなど、新たな注目を浴びている。
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原 節子
往年の銀幕大スター
原 節子さん(本名:会田昌江)は、保土ヶ谷区月見台に生まれ、私立横浜高等女学校(現横浜学園)に入学。
家庭が経済的に困窮していたこともあり、周囲の勧めもあり映画界に入ることとなり、2年で中退した。戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。代表作に「わが青春に悔なし」、「青い山脈」、「めし」、「東京物語」などがある。
1963年に女優業を引退し、2015年に惜しまれつつこの世を去った。
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中島 敦
厳格な英才
中国の歴史を題材にした小説「李陵」、「山月記」で有名な文学者。昭和8年から16年までの8年間、本校で国語の教師として勤務していたが、17年に33歳という若さで急逝。24歳から32歳という人生の最盛期を本校で過ごしたことは、彼にとっても、指導を受けた卒業生たちにとっても忘れがたい貴重な時間だったと言える。
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渡辺はま子
強さを秘めた歌姫
戦後、日本人の多くは戦争の残した悲惨さ非情さを忘れようとした中で、歌を通して「戦犯」の気持ちを代弁するように歌いあげた「ああモンテンルパの夜は更けて」は有名。戦時中は司令部からの依頼で兵士たちを歌で慰問、生きる希望を与え続けた。本校では「歌」の先生をしていた時期があるとのことだが、資料を精査中。
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与謝野晶子
情熱の歌人
与謝野晶子は昭和7年頃から10年まで夫の与謝野鉄幹とともに本学短歌会の講師として勤務していた。ほとばしる情熱を巧みに表現した歌集「みだれ髪」は多くの人々に愛され、今でもいろいろな表現手段に引用されている。本学にも貴重な「みだれ髪」の初版本や与謝野鉄幹主宰の「明星」、書籍などが大切に所蔵されている。